薬の副作用による認知症がご浄霊で改善 昔のようにゲートボールに行くほど元気に

白塚支部 黒川多美子 『神教』紙平成29年3月号掲載

平成27年7月、実家の母が腰部脊椎管狭窄症を患い、左足から腰にかけての激痛が3日間程続きました。近所の整形外科で痛み止めの注射をしても痛みは治まらず、再び病院へ行ったようで、4日目に私に連絡が入った時は、かなりの痛みを訴えていました。

 

 意識が朦朧とする母は、知人の病院へ救急外来で受診し、即入院となりました。経緯を話し、薬を見せると、85歳の老人に処方するようなものではないらしく、しかも2種類の強い痛み止めを出されており、若い整形の医師が「僕たちでもこんな薬を出されたら、まいってしまいます」と驚いていました。

 

 幸い手術には至らず安静にしていると徐々に治まりましたが、入院4日目に帯状疱疹が出ました。この痛みが中々治まらず、昼も夜も痛む日が続きました。3週間ほどで退院しましたが、10日ほどで塩分が足りない低ナトリウム血症を発症し、別の病院に再び入院となりました。

 

 以来、更なる苦しみが始まりました。入院3日目に孫が来てくれたのに、母は名前が言えないのです。最初は冗談かと笑っていたのですが、翌日は娘の私にさえ「あんた、誰?」と申します。私はショックで言葉を失いました。母は名前が言えない自分にイライラするのか、いつも怒っていました。神経内科や精神科の医師まで診察に来て、どんどん母の頭が壊れて行く恐怖を感じました。

 

 家事を全て行い、ゲートボール、民謡、ボランティアと精力的に動いていた母が、2ヵ月余りの間に別人のように何もできなくなりました。脳検査によると、前頭葉の血流が悪くその症状として同じ行動を何度も繰り返したり言動が粗暴になったりするそうです。まさに薬が病を作る、薬が不幸を作る事を見せつけられました。私は毎日病院へご浄霊に通いました。

 

 精神科の医師によると、ものが分からなくなる時と、正気に戻る時が交互に現れるので病名もつけがたく、「まあ、認知でしょう。もう戻りませんね」と退院の勧告を受けました。薬のせいで入院中はまともに歩けない日や、目も開かない、何もしゃべれない日もありました。トイレも一人ではうまくできなくなり、施設に預けざるを得なくなりました。

 

 おいてもらえる施設が見つかりホッとしたのも束の間、預けた日の翌日、夜中に徘徊するからと、鍵のかかる上の階へ移されていました。本当に信じられない状況で、ここがあの元気だった母の居場所かと思うと、いたたまれない気持ちでいっぱいでした。

 私は仕事帰りにご浄霊に通いました。初めは私の顔を見る度に「帰りたい」と泣いていましたが、毎日のご浄霊で、少しずつ母の様子に変化が出て来ました。何となく普通に話をしている、普通にご飯を食べていると感じるようになりました。以前のように娘を気にかけてる母に戻ってきたと実感するようになりました。

 

 入所からひと月ほどすると、週末に外出許可をもらい、自宅で過ごしている時に、家事が今まで通りできるようになりました。施設の人も入所時からのあまりの変わりように驚いていました。

 

 母は平成28年4月に入信しました。不眠に悩まされていましたが、お蔭様で入信を境に朝まで眠れるようになり、喜んでいます。体調も良く、以前よりも張り切ってゲートボールに出かけていきます。母は、「こんな事なら、もっと早く入信したら良かった」と話しています。

 

 発症からわずか3ヵ月半ほどでしたが、心も体も落ち込んで毎晩泣いていた辛い日々でした。明主様にお救い頂き、とても幸せです。