鬱病、引きこもりの人生から脱出 薬の恐さと浄化作用を知る浄霊の有難さ

伊賀支部 中川照代 『神教』紙平成24年7月号掲載

平成21年1月29日、私はバイクを運転中に横から衝突される事故に遭いました。子供の頃から健康で、上野城の忍者屋敷で、「くノ一」として観光案内や忍術の実演を続け、転職先でも朝から晩まで仕事に打ち込む程の活動的な日々が、この事故で大きく変わってしまいました。
 意識を失い、病院に運ばれた私は、手術を受け、足には後遺症が残りました。入院中は仕事や金銭面、家庭のことを考えると不安が募って眠れず、毎晩睡眠薬を服用するようになりました。
 3ヵ月程で退院しましたが、厳しいリハビリを行なっても一向に良くなる兆しは見えません。希望を失い、不安を抱えたまま自分の部屋に閉じこもり、外へ出ることのない生活となってしまいました。人と話さなくなり、笑うことも、泣くこともできなくなりました。毎日「死にたい、死にたい」と思い、自殺めいた行動をしたり、優しく接してくれる母に暴力を振るい、包丁を持ち出したりして随分苦しめました。
 再入院後も、病室を出ることもなく、まるで牢獄の中で薬漬けの生活を送っているような状態でした。幻覚・幻聴も酷くなり、不自由な足でやっと面会に来てくれた母を、冷たく追い返す有様でした。
 母は縋る思いで親戚の増山さんに相談し、私は9月7日に外出許可を得て支部へ案内されました。その時の私は、飲まず、食わず、眠れずで痩せ細り、目もうつろで両脇を抱えられ、身なりもお構いなしでジャージに裸足、髪もぼさぼさでした。
 初めてお会いした支部長先生と奥様は、笑顔で私を迎えて下さり、今までの経緯をじっと優しく聞いて、最後にご浄霊をして下さいました。その時、忘れていた涙がどっと溢れ出し、止まりませんでした。以来、先生と増山さんからお祈りと遠隔浄霊を頂き、入信が許されました。すると3ヵ月後、思いがけずに退院できました。
 その後も相変らず部屋に引きこもっていたのですが、増山さん夫妻は毎日のようにご浄霊に来て下さいました。その時の私は、進んで信仰を求めるでもなく、毎日訪ねて来られることに苦痛を感じ、布団を被り、寝たふりをしたこともありました。
 それでも増山さんは、毎日ご浄霊をして、励ましの言葉をかけて帰っていかれました。そうしているうちに、いつしか暗いトンネルに一筋の光が見え、それを辿って行くかのように、わずかずつ部屋から外を窺っては出るようになり、庭の手入れや畑仕事、町内の集会にも参加できるようになりました。
 ある日、増山さんに誘われるまま支部へご参拝に行きました。皆さんに温かく迎えられ、明るく楽しい笑いに心が安らぎました。以来、支部で皆さんとご奉仕出来ることが楽しみとなり、教会・聖地のご奉仕もできるようになりました。不思議とその時には階段の上り下りや移動が軽やかとなり、喜びながら感謝でご奉仕させて頂いております。
 聖地宿泊の研修会に参加すると、帰宅後、頭から足の先まで湿疹が出てとても痒く、熱も出ました。増山さんに症状を伝えると、すぐに来てご浄霊をして下さいました。翌日も先生の奥様が来て下さり、薬に頼ることなくきれいに治して頂きました。そして、この日を境に薬をきっぱりと止めました。薬の恐さと浄化作用を身をもって知り、ご浄霊の偉大さを実感しました。
 父は20年前に耕耘機の下敷きとなり、左足が不自由です。母も足が不自由で、私も左足が不自由になりました。先祖供養の話をお聞きし、光を頂くにしたがい、お仏壇をお祀りしたくなってきました。支部長先生、増山さんに相談し、床の間も整え、お願い致しました。
 本年1月25日には無事ご奉斎が許され、感動の涙が絶えない一日となりました。当初、「お姉ちゃん、深入りしたらあかんよ!」と釘をさしていた妹も、私の良くなっていく姿をとても喜び、ご奉斎式には奈良から駆けつけ、手伝ってくれました。
 また、このご奉斎の準備と共に、急に仕事の話が浮上し、不思議な縁ですが、事故で職を失った1月29日に晴れて初出勤。社会復帰することができました。
 これからは私のように苦しんでいる方々の手助けをし、一人でも多くの方が明主様と結ばれ、救われますよう、周囲の方々から神縁を拡げて参ります。