不幸と体調不良続く家庭が明るく 先祖供養も整い霊界の兄にも光

鈴鹿支部 中川みね子 『神教』紙平成20年2月号掲載

 私が生まれた時から祖母と両親が他宗を信仰しておりましたが、家の状態は良くありませんでした。
  家業は父が始めた園芸業で、シクラメンなどを栽培していました。温室の燃料には重油を使用するのですが、兄が跡を継ぐことになり、父は兄を助けようと、「重油の代わりの燃料に、釜を作って廃タイヤを燃やす」と言い出し、独断で大量の廃タイヤを引き取ってきました。
  家の田んぼや温室がタイヤの山となりました。しかし釜などはそう簡単にできるはずもなく、やがて、そのタイヤをどう処分するかが問題となりました。近所や自治会からも苦情が出て、処分には莫大な費用がかかるので、途方に暮れました。
  家の中は父と私達の間で言い争いが絶えませんでした。兄夫婦や子供達と同居しており、父の勝手な行動で兄の夫婦関係まで壊れないかと心配でした。
  平成12年1月、風邪を押して無理をしながらずっと働いていた兄が温室で倒れ、36歳の若さで帰らぬ人となりました。その後は、義姉(兄の妻)が幼い二人の子を連れて出て行ったり、父が相談もなく勝手に起こした土地のトラブルが発覚したりと、辛いことばかりが続きました。
  当時26歳の私には何もできず、姉夫婦に色々助けてもらいました。しかし、姉自身の家庭や仕事に加えて実家の問題まで出てきたからか、姉も体調を崩してしまいました。私は“兄に続いて姉まで死なすわけにはいかない”と、仕事や生活を一緒にして、私ができることを手伝うことにしました。しかし、姉は簡単には復調しませんでした。   そんな状態でも義兄(姉の夫)は私達を見捨てずに助けてくれました。その好意に対し“できるだけ恩返しを”と思いつつ、今度は私が体調を崩してしまいました。胃痛とひどい鼻炎で、薬を飲まなければ生活ができません。5年間、毎日薬を飲み続けましたが、ついに手伝っていた姉夫婦の会社を辞めることとなりました。
  その時、私の後に入社した事務員の大蔵さんからご浄霊を勧められ、伊藤さんよりご浄霊をいただきました。
  私の一番の心配事は、急逝した兄がきちんと成仏できているかということでした。中川家を何とか良くしたいという、幼い頃からの思いを叶えるため、本教への入信を決め、平成18年4月にみひかり様をいただきました。
私の思いに、支部長先生、伊藤さんは本当に親身になって下さいました。まずは兄の急逝への執着を立ち切ること。“お兄さんが霊界に行きたくても行けませんよ”、“姿は見えなくても魂は生きているから、悲しい気持ちを捨ててお兄さんに感謝し、ゆっくり休んで下さいとの気持ちに変えましょうね”と教えていただきました。そして、兄の死を認められずに仏壇に置いていた遺骨をお墓に納めると、死人のように体調の悪かった父が元気になりました。後に支部長先生より、“お兄さんはきちんと成仏していますよ”とお聞きし、私の心も軽くなりました。
  姉にも完全に元気になって欲しいと信仰の話をすると、姉と下の子の入信が叶いました。お陰さまで姉は随分と元気にしていただきました。
  他宗だからと嫌がっていた両親も、姉達に続いて入信が許されました。その月末にはお位牌をととのえ、御屏風観音様をお迎えしました。兄や甥達がいなくなってから暗かった母も明るくなり、とても喜んでくれました。半年後には姉の夫と上の子も明主様とのご縁をいただき、家族全員の入信が許されました。
  今は遠くからでも兄の子達の健康を祈り、いつか大きく成長した二人に会えると信じています。