3・11東日本大震災を免れた! 出張の主人にご守護、無事の帰宅に感謝 

清新支部 野口啓子 『神教』紙平成23年7月号掲載

 この度の東日本大震災で、出張中の主人がお蔭を頂いたことをご報告申し上げます。
 『本年3月11日14時46分、東日本大地震は起こった。その時、私は福島での仕事を終え、訪問先のメーカーの営業マンと共に名古屋へ帰宅する予定で、福島発14時18分のMAXやまびこ号に乗り込んだ。
 仕事を順調に終え、予定より一本早い電車に乗る事が出来たが、30分後、突然電気が消え、数秒後いきなり列車が左右に大きく揺れ出した。シートから投げ出されそうな強烈な揺れで、電車が止まるまで大きく揺れ続けた。かなりゆっくり減速したように感じたが、いつ脱線・転覆してもおかしくない恐怖が頭をかすめた。
 車内放送で「地震が起きている」とのこと。一旦止まった後も、電車は短い間隔で起こる余震で揺れ続けた。これはかなり大きな地震だと判った。幸い辺りは田んぼで、少し先に線路と平行して車が通っているのが見えた。
 震源地や近辺の震度がアナウンスされたものの、この先、電車の運転見込みがあるのか無いのか、電車の乗務員にも判らないようだった。
 今夜は車中泊になると思い、車内販売を見つけてわずかな食べ物、お茶を入手できた。しばらくすると商品は残り少なくなり、お茶は売り切れ。先に買っておいて良かった!
 日没が近くなるにつれ、車内も暗くなり、停電のため車内は暖房が効かず、気温が下がってきた。気分的にもめいって、寝ようと思っても寒くて寝られない。更に、洗面所もトイレも水が出ず、排泄物はやがてタンクに一杯になってしまった。
 一方、携帯電話は繋がらず、メールは何とか通信出来たので会社、自宅とは最低限のコンタクトが取れた。車内放送も無くなり、車内照明もトイレと一部車両のみの非常灯だけで、一般車両は真っ暗の状態。移動は携帯の明かりに頼った。
 全く先の見えない状態が長く続いたが、24時頃になって「バスが迎えに来るのではないか」との噂が聞かれ、荷物を持って線路を歩く人の姿が暗闇の中で窓越しに見えた。噂通り外部へ出られそうだと思えると、少し元気が出てきた。  夜中2時頃やっと私のいる車両に車掌が入ってきた。「外で待機しているバスに乗り込んで下さい」と言われ、急いで先頭車両まで歩いて行き、ドアから梯子伝いに線路に降り、少し歩いて道へ出た。辺りには消防車と地元の消防団が何人もライトをかざして誘導してくれた。こんな夜遅く、しかも余震が続く中での誘導に深い感謝がわき、頭を下げずにはおられなかった。
 何とか乗り込むことが出来たバスの中は、なんと暖かであったことか。列車の全員が近辺の9軒の旅館に分かれてバスで送り届けられた。雪の積もった道を30分ほど走って案内されたのは、かなり山中の旅館で、那須高原の中と分かった。夜中3時過ぎであった。
 旅館では大広間に約50人が集められ、避難所らしき場所で、おにぎりとお茶が振る舞われた。頻繁に起こる余震で、とても寝られる状態ではなかったが、あの寒い、暗い車内より大変ありがたく、またまた頭が下がる思いがした。
 その夜は、テレビが連続的に被災状況を流しており、津波のすごさに改めて驚かされたと共に、無事、ここまで来られたことに感謝の念で一杯であった。
 外が明るくなってきた頃、連れの方と帰宅方法を検討した。今のところ電車は動いていないし、高速道路は止まっている。とにかく何とかして福島を離れ、東京近郊まで行く手段を考え、ヒッチハイクをすることになった。早速、旅館のフロントで、車で来ていた会津まで行くという家族連れに会った。声を掛けると、途中の一番近い駅まで送って頂けることとなった。
 途中、あちこちで土塀が倒壊し、ガソリンスタンドには行列ができていて渋滞。停電のため手動ポンプを回しての給油で、時間がかかるようだ。また、幾つかのスタンドには営業停止の看板が掛かっていた。
 在来線の駅まで来たが、電車は動いておらず、近くのトラック休憩ステーションまで送って頂いた。そこで運良く、東京へ行くトラックに巡り会い、「会社で禁止されているが、非常時なので」と、渋々ではあったが乗せて頂けることとなった。また感謝であった。
 旅館を朝7時半に出て、その日の13時頃、JR浦和駅の近くで下ろしてもらった。幾度か渋滞があったものの、結構順調に東京近郊まで来られた。その後は、電車で東京駅を経、東海道新幹線で無事名古屋へと向かうことが出来た。私達2人は、今回の帰宅方法を選択した結果、12日中に自宅へ帰ることが出来たのだ。
 この2日間で普段では経験出来ないようなことを体験し、同時に人の温かさを身に染みて感じた。見ず知らずの私達を受け入れてくれた旅館の方々、そして車に乗せてくれた家族連れとトラックの運転手さん。いずれも日本人は素晴らしい優しさを持っていることを実感させてくれた。
 また、地震後の列車内では皆さん常に冷静な行動を取り、大声を出す人もなく、落ち着いて行動していたことも日本人の素晴らしさであると実感した。
 今回、乗っていた新幹線が止まったのがトンネル内ではなかったことは幸いであった。いくつかのトンネルではトンネル内で停車した車両があり、それらの乗客は地震の翌朝でも未だ車内に残されていたそうである。
 東北地方で被災された方々の状況とは比べようのない小さな体験である』
 この度のことから、日頃から母の信仰の深さのお蔭で私達家族が守られていることを深く感じ、本当に感謝しています。
 震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、一日も早く平穏な生活が取り戻せますようにお祈り申し上げます。