栃木県へ単身赴任中、大震災の被害にご守護 襲い来る高濃度の放射能汚染からも免れる

勢光支部 川北幸男 『神教』紙平成23年9月号掲載

3月11日午後3時前、職場で会議中に大きな地震が起きました。1週間前から毎日のように地震が続いており、「あ、またか」という感じでした。冗談で、「机の下にもぐろうか」と話をした途端、尋常な揺れではない事に気付きました。
 すぐに社員を外に誘導し、私も外に飛び出しました。かつて経験した事も無い、強い揺れと音がして、立ってはおれませんでした。5分ほど揺れ続け、鉄骨の工場が紙切れのように揺れ、屋根が団扇のようにたわんでいました。周囲は泣きじゃくる女性や、固まって動けなくなった人などでパニック状態でした。その後も揺れは止まらず、状況が掴めたのは約15分後でした。会社では緊急集会を行い、社員を全て帰宅させました。
 その後も5分に1回は余震が発生しました。「すぐに支部長先生に連絡を」と思い、何度も電話をかけましたが繋がらず、災害時の困難さを思い知りました。携帯2台と会社の電話をフル回転し、ようやく連絡が取れると、徐々に冷静さを取り戻しました。
 アパートに戻ると、玄関の置物は全て落下し、お勝手は悲惨な状況でした。食器は全て割れ、テレビや電子レンジが倒れて蛇口に触れ、水道水が出っ放しで、床は水浸しでした。片付けの途中、再び立っておれない程の大きな余震が起こりました。身の危険を感じ、慌ててアパートを飛び出しました。
 すぐに支部長先生・教会へと電話しましたが、全く連絡が付きません。必死の思いで会長先生に電話をすると、何と一発で電話が通じました。会長先生から優しいお言葉を頂くと、気持ちが楽になり、命ある有難さを感謝しました。
 栃木県は震度6強でしたが、道路の陥没、瓦や壁が無残にも剥落した光景は、忘れられません。地震後、初めての夜は、栃木全般も相次いで停電になりました。私の住む一部地域だけは、奇蹟的に停電や断水を免れました。この日は、幹部一同で会社に泊まる予定でしたが、やはり家族が心配になるのか、皆それぞれ帰宅し始めました。単身赴任の私は、アパートでは危険を感じ、コンビニの駐車場で車中泊しました。
 一時は三重県に帰ろうと思いましたが、夜中に長野県でも震度6の地震が発生し、帰るルートが全て通行止となりました。5分に1回は起きる余震に、ろくに睡眠も取れず、朝を迎えました。
 地震発生から2日目の朝は、気温はマイナス4度でした。幾分か疲れが取れ、温泉でテレビを見ていると、恐れていた余震が続発。アパートに戻ったものの、耐えられない状況でした。支部長先生より「ガソリンを満タンにしておいたほうが良い」と教えて頂き、すぐに出かけました。すると、国道は約1キロほどガソリンスタンドへ向かう車で大渋滞でした。スタンドでは、「1人20リットルまでです。レギュラーはもうありません。ハイオクでお願いします。ガソリンの入荷予定はしばらくありません」とのこと。満タンに出来て本当によかったです。しかし、今晩こそ布団でと思いましたが、仕方なくまた車中泊となりました。
 地震3日目の朝5時過ぎ、アパートに戻りましたが、やはり余震があり、長居は出来ませんでした。今回の震源は、岩手沖・宮城沖・茨城沖・新潟ですが、中央に栃木県が位置するため、全ての震源から来る余震が栃木で発生し、緊急地震速報メールも全て届くので、心身共に疲れました。
 支部長先生より、「睡眠がとれてないだろうから寝袋を用意して睡眠を。足を伸ばしてゆっくり休まなければ頭が働かないよ」とお言葉頂き、何軒か店を回った挙句、ようやく寝袋を見つけました。余震が小康状態でしたので、思い切ってアパートへ戻り、寝袋で初めて3時間ほど眠りにつくことが出来ました。また、その夜は更に6時間は熟睡出来、随分体が楽になりました。
 地震4日目は、当初から夕方に三重県へ帰る予定でした。先生方から「少しでも早く帰って来るように」と言われ、急いで仕事の段取りをつけ、昼頃に栃木を出発しました。その後しばらくして、原発の爆発による放射能漏れ事故のニュースをラジオで知りました。群馬県に入った所で、支部長先生から「栃木県で高濃度の放射能が検出された」とのご一報を頂きました。お蔭で、襲い来る放射能汚染からも免れる事が出来ました。
 色々と大変な中、振り返ると大難を小難にして頂きました。明主様ありがとうございました。今後も生かされている感謝の心で、御用に向かわせて頂きます。