あの大津波から無事逃げられた! 避難先の宿舎や燃料入手にもご守護

鈴鹿支部 平井敬文 『神教』紙平成23年8月号掲載

 私は2年前から、鈴鹿市にある工場の配管の定期修理などを行う会社で働いています。本年2月からは、福島県相馬市の松川港近くのプラント(工場施設)が作業現場でした。
 3月11日3時の休憩前、1階で作業中に地面が揺れたので、作業を中止し屋外に出ました。その直後、さらに大きな地震が来て地面がくねくね波打ち、まるで海の上に立っているように足下が揺れました。
 5階にいる先輩たちが心配で上を見上げると、避雷針が真横になる程の勢いでグラグラと揺れ、建物自体が45度ぐらい傾いているかと思うほどの揺れでした。
 先輩たちが階段につかまりながら何とか下まで降りてきて、仕事をしていた全員が広場に集まりました。しかし、地震は数日前から続いていたので、この時はあれ程の大惨事になるとは思ってもいませんでした。
 他の会社の人達は帰るようにと指示が出ました。私たちは三重県の親会社に何度も電話しましたが、つながりません。しばらくその広場にいました。
 一人の先輩が「津波の様子を見に行こう」と言うので、5人で社用トラックに乗り、海に向けて道を降りていきました。すると、地面は凄い地割れで、数キロ先の海岸の方を見ると、家が茶色い煙を上げながら次々と横倒しにされ、流されているのが見えました。
 初めて、「マズい!もしかしたら死ぬかもしれない!」と思い、急遽引き返し、皆で車で逃げました。最初は若い先輩の運転でしたが、「そんなんじゃだめだ!」と、年上の先輩が運転を交代。車のボディがあちこちぶつかるのも構わず、道を探しながら必死で寝泊まりしている宿舎まで逃げました。
 幸い、そこまでは波も来ず無事でした。食べ物はありませんでしたが、近くの弁当屋が野外営業で炊き出しを始めたので、飢えることはありませんでした。宿舎は水道も電気も普通に使えました。しかし、道を隔てた向かい側は使用不能だったので、本当にありがたく思いました。近くの小学校の体育館には多くの方が避難してきていました。
 翌日、プラントを見に行くと壊滅状態でした。津波は2階を超え、5~6メートルの高さに達しており、地面は割れて盛り上がっていました。昨日すれ違った救急車が無残な姿をさらしており、信じられず、あぜんとしました。本当によく無事だったと思い、感謝しました。
 余震の続く中、会社からは指示が届かず、宿舎で待機していました。やっと帰宅命令が出て、14日に車4台、5人で三重県に向けて出発しました。途中、色んな噂を聞き、ガソリンを探して奔走しましたが、入手できません。
 福島市内のあるガソリンスタンドの前を通りかかった時に、運良くちょうど開店した所に出くわしました。そこにはまだガソリンが残っていました。しかし、ガソリンスタンドの店長は「1人10リッターまで」と言います。皆で「三重県まで帰るから」と、店長に半日かけて頼み込み、どうにか満タンにしてもらえました。
 原発のことがあるので、日本海方面に遠回りし、15日の夕方、やっと三重県に着きました。私は、こちらに帰ってからもしばらくは体が揺れているような感じが残っていました。
 仲間たちも全員、無事に帰ってこられ、明主様のご守護に感謝致します。