乳腺炎、バセドウ病が手術せず快癒 震災に交通事故にと、家族にも数々のご守護

鈴明支部 市岡雅子 『神教』紙平成22年2月号掲載

 私は長女の出産時に、2回程流産しかけましたが、無事に出産できました。しかし9ヵ月の未熟児で生まれた長女は、黄疸がきつく、「脳までやられるかもしれない」と言われ、心配の毎日でした。日々のご浄霊とお祈りを続け、お蔭様で1ヵ月程で退院できました。それからは健やかに成長し、一人前に成人いたしました。
 次女は、生まれた翌日に「心臓に穴があいているかもしれない」と言われ、私は目の前が真っ暗になりました。大学病院で診てもらうと、穴はあいていませんでしたが、心音に雑音が入り、定期検診に通うことになりました。
 4ヵ月目の定期検診は1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こった日でした。5時46分52秒、主人はいつもならその時間はトラックを運転中で、震災によって半分落下した橋を通っていたはずです。しかし、その日は次女の検診のために休みをとっていたのです。明主様は主人を守って下さったのでした。また、主人の代わりに運転をして下さっていた方も無事だったことを知り、感謝でいっぱいでした。
 更にその日の検診では、小学校へ上がるまでは心臓の検診が必要ですと言われていたのですが、「もう(受けなくても)大丈夫ですよ」と言われ、私達夫婦は二重の喜びに包まれました。
 そんな次女が8ヵ月の頃、私は胸がパンパンに張り、40℃近くの高熱を出しました。病院へ行くと「乳腺炎」との診断で、「胸を切らなくてはいけない」と言われました。2~3日は注射のため通院するようにと言われ、その日は帰宅しました。
 翌日、子供が熱を出したので、「手術する」と言われた病院へは行かず、出産した病院へ子供を連れて行きました。そこで小児科の医師に乳腺炎と診断されたことを相談しました。すると私の胸を診て、「この程度なら子供にお乳を飲ませたら治るよ」と言って下さいました。言われた通り、子供にお乳を与えると、私の熱も下がり、胸の痛みもなくなり、子供の熱も下がっていったのです。本当に不思議でした。
 次女が幼稚園に入った頃、半日だけ私はパートに出ることにしました。働き始めて2ヵ月ほど経た時、バセドウ病にかかりました。医師から「この病気は完治ということがなく、一生付き合っていく病気です」と言われ、ひどく落ち込みました。
 ホルモンのバランスが関係するので、年齢と共に、またその時の状態によって薬を変えていかなくてはならないとのことでした。最初は喉がひどく腫れ、心臓があおり、血圧も高くなりました。病院によってはすぐに切るところもあるそうですが、それは免れ、薬だけの治療となりました。
 ご浄霊をいただき、2週間に1回通っていた病院では、診察の経過も良く、落ち着いてきました。実は、薬を飲んでいたのは最初だけで、後はずっと飲まずにご浄霊だけで経過をみていたのです。医師は薬が効いて異常がないと思っていたようでした。
 担当医が替わった時、「実はもう何ヵ月も薬を飲んでいませんでした」と正直に言うと、「じゃあもう大丈夫ですね。調子が悪くなったら来て下さい」と言われました。しかし、その日以来、病院へ行くこともなく、今も元気に日々を送らせていただいております。
 他にも、車庫入れの際に死角にいた自転車の子供を轢く寸前に止めていただいたこと、弟のネフローゼが完治し、正面衝突の大事故が軽傷で済ませていただいたこと、九州・福岡での集中豪雨から主人を守っていただいたことなど、数々のご守護をいただきました。
 明主様に深く感謝申し上げ、これからもこの感動を多くの方にお伝えしていきたいと思います。