ご浄霊で湧き起こる生きる希望 糖尿病も克服し、会社経営も順調に

新潟支部 笠井 隆 『神教』紙平成22年3月号掲載

   建設業を営んでいる私は、平成8年10月、新潟で行われた比嘉照夫教授の講演会の折、以前から仕事上で付き合いのあった鳴海さんに声をかけられました。翌朝、鳴海さんは早速、我が社を訪ねて来られました。当時、家内はスキルス型の胃ガンがもとで、大腸ガンの末期で入院中でした。鳴海さんは家内のこともあり、一生懸命ご浄霊を勧めて下さいました。
 「一度くらいは受けないと悪いかな」という軽い気持ちで、責任者の伊藤さんより初めてご浄霊をいただきました。半信半疑の私でも、ご浄霊をいただくと気持ちが良く、うとうととしました。しかし、その時はまだ入信する気にはなれませんでした。
 その2ヵ月後、1年3ヵ月の闘病生活の末、家内は45歳の若さで亡くなりました。「あと10年、せめてあと5年でも生きたい」との言葉が、今でも鮮明に思い出されます。当時、私は50歳でした。家内は会社の経理も営業も担当しており、私にとってはかけがえのない大きな支えでした。両親をすでに亡くし、子供もいない私はついに一人ぼっちになってしまいました。
 私は酒におぼれました。当然、身体に良い訳がありません。肝臓よりも脳をやられ、善悪の判断がつかず、まともに思考できなくなる時も度々でした。精神の起伏も激しく、不安定な状態が続きました。私は生きることにやけになっていました。
 そんなある日、「笠井さん、お元気?」と伊藤さんから電話がありました。「元気じゃないよ。気持ちが落ち込んで、自殺したいくらいだよ」と答えた私に、伊藤さんは「ご浄霊をさせていただくので来られませんか」と誘って下さいました。
 私は、すぐに伊藤さんのお宅に伺いました。すると、あんなに気分的におかしく沈みこみ、マイナス思考しかできなかった私が、ご浄霊をいただくうちに回復していくのです。自分でも不思議なくらいよく分かりました。
 宗教に抵抗感があり、今一歩踏み込めずにいましたが、平成9年8月に入信が許されました。入信後も最初は馴染めず、なかなか信じられずにいましたが、時々ご浄霊はいただいておりました。
 平成15年10月、入札制度が大きく変わり、談合ができなくなると、工事の受注が難しくなりました。私の会社も1年間に3000万円ほどの仕事を1本受注するのが精一杯でした。商売を続けるか否か、また、異業種への転向を図るのが良いかと思い悩み、ストレスが溜まる一方でした。
 そのせいか、平成17年3月には、血糖値が242、ヘモグロビンA1c値が9.3となり、立派な糖尿病だと言われました。医師から入院を勧められましたが、仕事もあり、1ヵ月に2回通院することで承諾を得ました。
 病院では薬が処方されましたが、その頃には私も薬毒について充分認識しておりましたので飲みませんでした。出張所へ通い、ご浄霊をいただくことを主にし、食事も自分でカロリー計算するほど留意し、プールに通って早歩きの運動などをしました。その結果、半年後には血糖値が124、ヘモグロビンA1c値が5.6となりました。
 薬剤師の方も驚き、「糖尿病がこんなに早く良くなったのは珍しいです。是非うちの患者さんに講師となって話をしてくれませんか」と頼まれる程で、断るのに苦労しました。改めてご浄霊の素晴らしさに感謝しました。
 平成18年には初めて月に2回、聖地参拝が叶い、そのお蔭で、翌年1月末の新潟市の下水道工事を同じ日に2本受注するという快挙を得、建設業界では大変評判になりました。会社の営業担当者から、「社長が参拝に行かれたからですよ」と言われた時は、本当に嬉しく思い、明主様にご守護いただいていることに深く感謝いたしました。また、初めて教会に2泊させていただいた時も、参拝中にまとまった大きな仕事を受注できました。
 平成21年の春の大祭での奉納演芸では、踊りの師範をしている叔母が出張所の皆さんに教えることになり、それがきっかけでご浄霊が許されました。叔母は頭や背中が温かくなったと喜び、6月に入信が許されました。私には初めてのお導きで本当に嬉しく、感謝いたしました。
 激動の時代、会社も私も何とか生きて来られたのは明主様の大きなみ光に守られ、先生方の励ましのお蔭と改めて深く感謝しております。