主人の突然死のショックもご浄霊で癒されて 娘の拒食症もご浄霊と祖霊供養で乗り越える

翔鷲支部 片岡 文 『光明世界』誌平成22年春号掲載

 母は体が弱く、近所の方の勧めで家族入信致しました。体調が良くなった母は熱心に信仰に励み、私も母の勧めでご浄霊のお取り次ぎをしたり、ご奉仕や研修会に参加するうち、多くの奇蹟を目の当たりにして育ちました。しかし、母のように強い信仰心を持つには至りませんでした。
 平成10年、私は突然主人を亡くしました。あまりのショックに信仰から遠ざかろうとしましたが、母や姉は私が何を言ってもご浄霊の手をかざし続けてくれました。お蔭で、悲しみの中でしたが、気持ちが落ち着いてくるのを感じ、今の苦しみから抜け出すためにも、もう一度ご浄霊に縋ってみたいと思うようになりました。
 そんな時、お腹が出ている事に気がつきましたが、子宮筋腫か何かのご浄化だろうと思い、気に留めもしませんでした。主人の帰幽に関わる様々な手続きに追われ、疲れていた私は、自分のことで精一杯でした。そして、もう少し落ち着くまではと、ご浄霊をいただくために教会へ通うようになりました。
 毎日たくさんの方からのご浄霊で、精神的な落ち込みも少しずつ回復に向かっていたある日、あまりにお腹が痛み出し、救急車で病院へ運ばれました。看護士の信者さんにお世話になり、無事女児が誕生。10年間子供がなかった私に、主人の帰幽半年後に子供を授かったのです。まるで夢のような出来事でした。
 娘が小学校5年生となった平成21年、6月頃から、娘が食事を受け付けなくなりました。働きながら日々追われるように生活していた私は、いつしか自己中心の考えに傾いてしまっていたのでしょうか。「子供の浄化は親の浄化」との言葉を思い出し、娘の気持ちを思うと辛く、申し訳ない気持ちで一杯になり、必ず乗り越えなければと思いました。
 8月、教会行事から戻った娘の異変に気付き、支部へ報告してご浄霊をしました。半月ほどしても回復がみられず、9月4日夕方、会長先生からご浄霊を頂きました。その時、先生は祖霊供養のことをお話し下さいましたが、思い当たる方々の供養は既にしているので、気にせずにいました。
 また、先生は娘に「9月6日の教会発会式で、お礼の花束をお渡しする御用をしてみてはどうですか」と訊ねられました。私は娘の状態を思うと無理ではと思いましたが、娘はその状態から抜け出したかったのか、「はい」と返事をしていました。
 翌5日は、娘の状態はとても悪く、元気がありませんでした。しかしその夜、娘はお祈りをして、一生懸命声を出す練習をしていました。随分心配しましたが、当日は無事、花束贈呈が出来、大きな声でお礼も言えました。娘はそのことが嬉しかったようで、帰りの車中で、いただいたお赤飯を、数日口にしたことのないほどの量を食べ、私を驚かせました。
 数日後、6月に亡くなった叔父の息子さんから、突然電話が入りました。実はその叔父の葬儀には、私の都合で母が参列できなかったのです。電話でそのことを詫びると、「気にしなくていいよ。親父も最後は何も食べられなくて痩せ込んでいたから、おばちゃんが来られなくて良かったかもしれない。またいつでもお参りに来てな」とのこと。その言葉に、娘の状態と同じだと気づき、会長先生のおっしゃった祖霊供養のことを思い出しました。
 翌日、叔父の慰霊祭祀を祖霊大祭にと思い、申込書を家のご神前にお上げすると、再び叔父の息子さんから電話が入りました。「ありがとう。今日の伯母ちゃんは元気な声だったからほっとした」とのこと。生前、叔父が母を気づかい、よく電話をかけてくれていたことを思い出し、「きっと、慰霊祭祀を申し込んだことを霊界で喜び、息子さんを通して応えて下さったのだ」と直感しました。
 私は「大祭後、叔父さんの墓参りに行こうと思っているの」と話すと、「前日の20日の納骨に来てくれたら、親父も喜ぶと思うよ」と言われ、私は浄化中の娘と母を連れ、思い切って静岡まで行く決心をしました。すると、予想外に事が順調に運び、娘は出先での食事も思ったより食べることが出来、大変驚きました。
 そして、翌21日の祖霊大祭には、霊界の叔父さんと一緒にお参りが出来たように思います。娘も昼食には、バザーの品を色々食べることができ、大変嬉しく思いました。
 以来、娘は母親の私より強い思いで「ご浄霊で元気にしていただくの」と、支部まで一人でご浄霊に通っています。お蔭様で少しずつ食事の量も増え、声を出して笑えるようになりました。そんな娘の姿が、私の信仰への大きな自信となっています。
 明主様、大きなご守護をありがとうございました。